覚えられませんっ

元「覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録」。遅ればせながらブログ移行してみた次第。

本日の読書ノート「竜馬がゆく」後編

      • 竜馬が海援隊起草案を説明しなかった理由。「説明すればわしの言葉や態度がつい懇願になる。それを恐れた」
      • 「社中に上下はない」というのが,結党以来の原則であった。ついでながら,竜馬の社中統御の法は常に平等を原則とし,会計さえ公開法を取り,人件費は平等に分配した。竜馬自信,むろん例外ではない。例えば薩摩藩から支給されている隊士一人あたり月々三両二分の金も,竜馬はみなと同額であった。
      • もともと竜馬は諸藩の有志のあいだに「度量,海のごとし」という評判があり,人の好ききらいをいっさい表に出さなかった。そういう点があったればこそ,人も集まってきたし,竜馬の下にいるとどの男も気楽に呼吸する事ができ,のびのびとそれぞれの才腕を発揮する事ができた。耕蔵という越前脱藩浪人がいる。「耕蔵を切る」とみな騒いだ事がある。竜馬はその連中をおさえ,「耕蔵の身に一指でもふれるな。四,五十人も人数が集まれば,一人ぐらい異論家はいる。いるのが当然でもある。その一人ぐらいの異論を同化できぬおのれらを恥じろ」
      • 人の諸々の愚の第一は,他人に完全を求めるというところだ。
      • 「惚れずに物事ができるか」と竜馬はいった。物事に惚れるような体質でなければ,世上万般のことは成りがたいと竜馬はいうのである。
      • ひとつの概念をしゃべるとき,その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだと竜馬は思っている。そのつもりでいままで自分を律してきた。
      • 「男子はすべからく酒間で一人醒めている必要がある。しかし同時に、大勢といっしょに酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業はなせぬ」
      • 事件があいまいな以上、声の大きいほうが勝ちである。
      • 竜馬が革命政府にはいるのを断ったときの言葉「俺は日本を生まれかわらせたかっただけで,生まれかわった日本で栄達するつもりはない。俺が平素そういう心境でいたからこそ,一介の処士にすぎぬ俺の意見を世の人々も傾聴してくれた。大事をなしとげえたのも,そのおかげである」「仕事というものは,全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難な道である。あとの二分はたれでもできる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」