読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

覚えられませんっ

元「覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録」。遅ればせながらブログ移行してみた次第。

手塚治虫嫌い

人気のあるもの、注目度が高いものにはアンチが生まれるのが世の常であるが、手塚治虫を評価しない、好きではない、という意見は聞いたり呼んだりした記憶がない。ためしに「手塚治虫 嫌い」でぐぐってみると、「手塚治虫は負けず嫌い」「手塚治虫はアトムが嫌いだった」なんてのはたくさん出てくるんだが、「私は手塚治虫が嫌い」「手塚漫画が嫌い」という記事はなかなか見あたらない。
同じようなことを書いている人が少ないようなのであえて書くけど、俺は手塚治虫が好きではない。積極的に嫌いだってほどではないかもしれないが、餓鬼の頃からずっと、手塚漫画のある一面をどうしても受け入れることができないのだ。
俺にとって手塚漫画は餓鬼の頃から「こっぱずかしい」「こそばゆい」もので、それがどうにも耐え難かった。五歳とか六歳の餓鬼であったにもかかわらず、アニメの「ジャングル大帝」とか「リボンの騎士」あたりは特に、こそばゆくって見ちゃいられなかった。
手塚治虫という人は育ちがよい。育ちがよい人はたいていの場合正攻法をとる。愛ですっドーンストレートど真ん中。希望ですっドーンストレートど真ん中。ヒューマニズムですっドーンこれもストレートど真ん中。こっちは育ちが悪いから、正攻法で来られるとまともに受け止めようとせず、あくまで斜に構え、見ないようにして結論を先送りしようとする。まあ駄目人間と言ってよい俺の性格が餓鬼の頃から如実に表れていたのだなあ、と今にして思う。
これを書いていて、こんなことを思い出した。祖父が死んだ時、遺産相続についての生臭い話し合いがもたれた。金なんか遺しちゃくれなかったが、都心の一等地にそれなりの広さの土地があった。ちょっとした正念場、というので親戚一同集まって緊迫した雰囲気。しかし俺の親父が現れない。小一時間たった頃、親父はべろべろに酔っぱらって登場し、親戚一同大顰蹙。お袋は涙ながらに「大事な時に飲まずにいられない小心者」と親父をなじった。俺も餓鬼なりにお袋の言うことは正しいと思った。しかし、今となって俺には親父の気持ちがわかる気がする。親父は血を分けた兄弟たちの欲の皮を突っ張らせた話し合いをまともに受け止めたくなかったのだろう。斜に構えたかったのだろう。その親父の血は俺にも確実に流れている。それが俺が手塚漫画を正面から受け止められない理由のような気がしているが、俺は親父の息子だから、その駄目さ加減を愛おしく、好ましいものとすら感じている。
まさにチラシの裏に書けよってな内容で、不快に思われた方は申し訳ありません。またソフトウェアがらみじゃなくてすみません。