覚えられませんっ

元「覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録」。遅ればせながらブログ移行してみた次第。

2006年版手帳やメモについて考えた-その1

いやあ、また「手帳の季節」がやってきましたねえ。
俺は昨年今年と3月始まりのフランクリンを使用してきた。以前フランクリン+リナザウがうまく動いている件について - 覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録で書かせていただいたとおり、俺はスケジューラと日々の記録すなわち日記としてフランクリンを使用し、リナザウはTODO置き場とする使い方を続けてきた。しかし、手帳の季節が近づくにつれフランクリンの「重い」「高い」という欠点が嫌になってきて、またぞろいつもの手帳そぞろ神のものに憑きて心を狂わせ漂白の思いやまず、手帳売り場をさすらってしまった。その結果俺の2006年はこんな感じでってなものができたので、そこはかとなく書きつけておこうと思う。

日記をデジタル化

バーチカルのウィークリーと可変長の日記が両立できる、ということが俺がフランクリンにした最大の理由だったわけだが、実は日記の方はすでにデジタル化してしまった。
フランクリンの解説本などを見ると、「書き留めておいた過去の出来事を簡単に検索できる」メリットが書かれているが、こと検索にかけてはコンピュータが圧倒的に有利であることはいうまでもない。日記に記載した事柄を後日見返す必要ができた場合、多くは「だいたいいつ頃のことだったか」という時系列の検索でひっかかるだろうが、人名など「キーワード検索」が必要となる場合も多々ある。手書きの日記では索引でも自作しない限りそれは不可能である。俺はそういったことは重々承知していたが、それでも日記のデジタル化に踏み切れなかったのは、「ファイルをどう分割するか」に結論が出せなかったからだ。1日1テキストファイルにするか、長さ的に限界が来るまで1ファイルに書き綴っていくか。どちらの形式にも一長一短がある。
前者はファイルサイズが小さいため、PDAで開く場合でも起動が早いというメリットがあるが、キーワードが思い浮かばないような記事を「だいたい去年の5〜6月あたりだった」と当てずっぽうで探す場合に50程度のファイルを開いては閉じ開いては閉じすることになってしまう。後者はいうまでもなく1ファイルのサイズが大きくなり、取り回しが悪くなる。この問題に俺なりに出した結論は、「季節と曜日で分割」すなわち1年を28ファイルに分ける、ということだった。
ある出来事がいつのことだったか思い出せないという場合、覚えらんない人=俺くらいの年になると一番駄目なのが「年」である。1999年のことだったか2000年のことだったか。これはわからない。4年前くらい、と思っていたことが8年前のことだった、なんてのは日常茶飯事である。月も駄目。「去年のことだが4月か5月か」これもかなり怪しくなる。しかし、「この出来事は暑い時期だったか寒い時期だったか」「夏へと向かう時期か冬へと向かう時期か」くらいは何となくわかるような気がする。それゆえ分割するキーのひとつを「季節」とした。「曜日」をキーとしたのは、俺の仕事は曜日ごとに定型化される傾向があるので、記述する際に前の週の同じ曜日の記述を雛形にできるメリットがあるし、「何曜日だったか」というのは比較的容易に思い出せる、というのが理由だ。
日記のフォーマットはほんとにベタテキスト。特に見出しすら付けていない。これをSDカードに入れて常時リナザウで持ち歩き、暇を見つけて編集する。編集にはZEditor、検索にはGUIGrepを使用。母艦のHDDとはWinsync2000で同期している。母艦とリナザウ両方で更新してしまうこともままあるので、Winsync2000にツールとしてDFを登録してテキスト比較を容易にできるようにしてある。
何の工夫もないベタテキストでも、検索にGrepが使えるメリットは大きい。まだこの形式にして2ヶ月ちょっとであるが、幾度となく恩恵を受けている。
まだまだ駆け出しの俺なので、「俺もテキストで日記つけてるよ」なんて方は工夫を教えていただけるとうれしいです。

高橋書店 ニューダイアリーアルファ12

フランクリンのウィークリーは使いやすいが、土日に時間軸が用意されていないという欠点がある。俺としては妥協できることではあるのだが、オンオフの境界があまり明確でない仕事をしている関係上、できれば土日も時間軸がほしいところである。また、フランクリンはどうしても重いので、とっさのスケジュール記入は結局のところ常時身につけているリナザウで、ということになり、いつの間にかスケジューラーもリナザウの方に半ば移行するような形になってしまった。「ポケットはひとつの原則」を守るためにはリナザウをスケジューラとするしかなく、仕方なしに使っているうちになんか慣れてしまってまあこれでもいいかみたいな気がしてきたもののやっぱり修正の跡が残らないとか手書きに比べて印象が薄いとかの欠点も時に気になる。そんなわけで「携帯できる手書きスケジューラー」を求めて手帳売り場へ。するってえと、なんか今手帳ブームなんですね。80年代のシステム手帳ブームと違うのは「俺のわたしの手帳を使ってみれ。俺はわたしはこれで夢を叶えますた。」みたいなのが多いなあ、ってこと。フランクリンも説教くさいがここまで即物的ではないよなあ。なんだかなあ、と横目でみつつ選んだのは
「高橋書店 ニューダイアリーアルファ12」。特徴は

      • 親父くせえ。が、俺は親父なのでよしとする。
      • ロックマンスリー(2005年12月〜2007年3月)
      • バーチカルウィークリー土日も均等に時間軸あり、30分刻み8時〜22時。
      • ペンフォルダー付き、しおり2本付き
      • メモページ少なし。15ページほど。
      • 別冊はアドレス。ただし半分は横罫のみでメモとしても使用可能。

とりあえずこれで行こうと。ただ、実際に使い始めてみないとほんとに1年間これでいけるのか、わかんないんだよな、これが。

メモやノートを別途考えよう

さて、スケジューラーはこれでいいとして、フランクリンから移行するとなると、いくつかやることがある。
俺はフランクリンの思想は相当正しいことを言ってるとは思うものの、あの志の高さは正直面はゆいものがあるので、正面切って「ミッションステートメント」を書いて手帳に入れたりはしていなかった。だからこのへんは移行の必要はない。ほんの少しだけ、手帳に書きつけておくおまじないみたいなものはあるが、それは秘密だ。知れたら恥ずかしくて死む。おまじないは年をまたぐだろうから、別冊のアドレスの方に書いておく。
それは別として、フランクリンのよいところは、数年先の予定まできちんと記入できる欄が設けられている点。本体側のメモページにこれを作成する。そんなこんなでメモのページは使う前から埋まってしまいそうであるので、こいつとは別途にメモ帳を考える必要がある。
そもそも俺はバイブルサイズのシステム手帳にメモるのが好きではない。何が嫌かって微妙に縦長なのが嫌。方眼か無地はまだ許せるがバイブルサイズの横罫は嫌。フランクリンはバイブルサイズより横幅があり、そこがよかったのだが、せっかく別途メモ帳を用意するのであればしみったれた大きさのものは嫌だと俺の中の比較的クリエイティブな俺が言うのですよ。じゃあどうしよう、ってんでこのへんはまた次回に。